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熊本地方裁判所 昭和50年(ワ)39号 判決

原告 国

代理人 田中清 南新茂 横内英夫 大村弘一 平野英雄 ほか二名

被告 久木田孝治 ほか一名

主文

一  原告と被告らとの間において、熊本市八幡町字北村脇三九〇番二、同所三九一番及び同所字北ノ前九四一番七各地先の別紙図面表示A、B、C、D、E、F、G、H、I、J、K、L、M、N、O、P、Aの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地一四〇・六八平方メートルは原告の所有であることを確認する。

二  被告らは原告に対し、前項記載の土地の別紙図面表示I、J各点を結ぶ線上に設置された鉄柵を撤去して、右土地を明け渡せ。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  熊本市八幡町字北村脇三九〇番二、同所三九一番及び同町字北ノ前九四一番七の各地(以下、右各土地は地番のみをもつて表示する。先の別紙図面表示のA、B、C、D、E、F、G、H、I、J、K、L、M、N、O、P、Aの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地一四〇・六八平方メートル(以下、本件土地という。)なお、本件土地と右三九〇番二ほか二筆の土地との位置関係は右図面のとおりである。)は、原告の所有に属し、現在熊本市の市道となつている。しかしてその経緯は次のとおりである。

(一) 本件土地は古くから存在する里道であつたところ、地租改正の準備段階の措置として地券発行の要否を決定するため制定された明治六年三月二六日大政官布告第一一四号(同布告第一二〇号改正)「地所名称区別」に基づく官民有区分により、その頃国有地とされたものである。

(二) 本件土地は、その後もやはり里道として附近住民らによつて通行の用に供されてきたものであるが、旧道路法(大正八年法律第五八号)の規定により熊本県飽託郡力合村道とされ、同村が昭和一五年一二月一日熊本市に合併されたのに伴い、路線認定の効果が熊本市に承認され、その市道となつたものである。そして昭和二七年現行道路法(同年法律第一八〇号、以下、新法という。)が施行され、同法施行法(同年法律第一八一号)三条の規定によつて、新法施行の際に右市道も新法における市道とみなされることとなると共に、同施行法五条の規定により、熊本市は本件土地について国から無償貸付を受けて現在に至つている(その間、本件土地について公用廃止がなされた事実はない。)。

(三) 熊本市においては、本件土地を含め、市内に存する道路につき市道としての路線の再確認と道路台帳の整備を図るため、一括して昭和三七年三月に新たに路線の認定、区域の決定及び供用開始をしている。すなわち、同月一二日本件土地を含む道路について市議会の議決を経たうえ、路線の認定をして告示し、同月三〇日道路の区域を決定し、同日これを告示すると共に供用を開始する旨の告示をしている。ところで前記(二)の事情からすると、本件土地については、右供用開始行為は重複的、確認的意味を有するに過ぎないものであるが、右事情からも本件土地が現在熊本市の市道であることは明らかである。

2  ところで、被告久木田孝治(以下、被告久木田という。)は、かねて三九〇番二の土地を所有し、同地上に住居を構えて居住していたが、昭和三三年二月一九日被告女王海苔食品株式会社(以下被告会社という。)を設立し、被告会社において、昭和三九年六月一日九四一番七の土地を、更に、同四一年一〇月八日三九一番の土地をそれぞれ買い受けて所有し、両地上に工場、車庫等を設けて右各土地を被告会社の営業の用に供するに至つた。

3  前項の経緯により、被告らは、昭和三九年頃から三九〇番二、三九一番及び九四一番七の三筆の土地を一体的に利用するようになつたが、本件土地はそのほぼ中間南北にかけて帯状に介在し、附近住民らの通行に利用されるため、右三筆の土地が東西に分断され、その一体的利用に支障を生ずるところから、被告らは、本件土地が原告の所有であることを争い、昭和四〇年三月頃から本件土地にコンクリート舗装を行うと共に、北側の別紙図面表示のA点とB点とを結ぶ線上にブロツク塀を構築して本件土地を占拠し、その後、右ブロツク塀は被告らにおいて撤去したが、コンクリート舗装は存置せしめたまま昭和四六年一〇月頃、南側の別紙図面表示のI点とJ点とを結ぶ線上に木柵を設置し、その後遅くとも昭和五三年七月二五日までに右木柵を撤去して新たに鉄柵を設置して附近住民の通行をしや断して道路としての機能を阻害し、もつて原告の本件土地所有権を侵害している。

よつて原告は、所有権に基づき、請求の趣旨記載のとおりの判決並びに仮執行宣言を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  請求原因1の事実について

(一) 冒頭事実のうち、本件土地と三九〇番二ほか二筆の土地との位置関係及び本件土地の面積が原告主張どおりであることは認めるが、その余の事実は否認する。

本件土地は三九〇番二、三九一番及び九四一番七の各土地の一部であつて、被告らが請求原因2記載のとおりの経緯をもつて取得したもので、被告らの所有である。

(二) (一)の事実は否認する。

本件土地部分に存したのはその附近の土地所有者あるいは耕作者が農耕の利便のために各土地の一部を提供しあつて作つたいわゆる寄合道か、あるいは主として境界を明らかにするための畦畔であつて、私有地である。

(三) (二)の事実のうち、本件土地が里道として附近住民らによつて通行の用に供されてきたことは否認し、その余は知らない。

(四) (三)の事実のうち、熊本市が原告主張のとおり本件土地につき市道として路線の認定、区域の決定及び供用開始をしたことは認める。

2  同2の事実は全て認める。

3  同3の事実のうち、被告らが三九〇番二ほか二筆の土地を一体的に利用するようになつたこと、その中間に本件土地が介在するかたちになること、被告らが昭和四〇年三月頃、本件土地にコンクリート舗装を行い、別紙図面表示A、B各点を結ぶ線上にブロツク塀を構築したこと、その後、被告らは右ブロツク塀を撤去したが、コンクリート舗装は存置したこと、昭和四六年一〇月頃、同図面表示I、J各点を結ぶ線上に木柵を設置したが、その後右木柵を撤去して、同線上に鉄柵を設置し、現在に至つていることはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

4  仮に本件土地が請求原因1の(二)記載のとおり旧道路法及び新法により熊本市の市道とみなされることになるとしても、次に述べる理由からすれば、これを熊本市の市道とみなすことはできない。

すなわち、道路法上の道路が成立するためには、(イ)路線の認定、区域の決定及びその公示がなされるだけでは足りず、(ロ)道路区域として指定された部分に所有権その他の権限を取得し、かつ現実に一般交通の用に供される道路としての形態、構造を備えたうえ、(ハ)道路管理者において、実際に当該部分を道路として取り扱い、その使用を開始する意思を明らかにすること、すなわち供用開始及びその公示を経ることが必要であるところ、本件土地については、力合村時代においても道路としての構造、形態を備えていなかつたばかりでなく、路線の認定等道路としての成立要件である右一連の手続は全く行われていなかつた。

熊本市は、請求原因1の(三)記載のとおり昭和三七年三月に本件土地につき、市道として路線の認定、区域の決定及び供用開始をしたが、以下に述べるとおり、右一連の手続には重大かつ明白な瑕疵があるので、右行為は無効である。

(一) 熊本市の右路線の認定は形ばかりのものであつた。すなわち、現地調査もされず、市当局としては、果して市道となしうる土地部分がそもそも存在するか否かについてさえ、全く把握していなかつた。このことは、原告において本件土地が古くからの里道であつたことの一つの根拠とする一筆限字全図につき、市当局は、昭和四一年九月被告の道路境界立会願により現地立会がなされた時、初めてこの存在を知つたもので、昭和三七年の路線認定の時点では、その存在さえ知らなかつたことからも明らかである。

(二) 本件市道と称される部分(本件土地)については、路線区域の決定のため何らの調査もしなかつたため、その延長、幅員、範囲等につき何一つ明確なものはなく、したがつて本件土地につき、区域の決定が行われたとは言えない、仮に行われたとしても、前記(一)のような状況のもとで行われたものであるから、重大かつ明白な瑕疵があり、右決定は無効である。

(三) 道路法上の道路と言えるためには、すでに述べたように決定された道路区域内の敷地の上に所有権その他の権限を道路管理者が取得しなければならないのであるが、前記(一)、(二)の事情からすれば、道路管理者である熊本市当局は本件市道と称される部分につき、これらの権限を取得していない。

(四) 本件土地は、昭和二九年当時、すでに田畑の境界として溝状をなしている始末で、その後このような状態が長く続き、もちろん通行する者もいなかつた。そして市当局が本件土地を市道として維持管理をしたことは全くない。このように本件土地は、昭和三七年当時供用開始をするに足りる道路形態を備えていなかつたのであるから、熊本市は供用開始行為を行つたとはいえない。仮にこれが行われたとしても、右のような状況のもとに行われたものであるから、右行為は重大かつ明白な瑕疵があり無効である。

三  抗弁

本件土地が仮に原告主張のとおり国有地となつていたとしても、次のとおり隣接土地所有者(ひいては被告ら)が時効によりその所有権を取得した。

(一)  本件土地のうち三九〇番二に隣接する部分は、右土地の所有者であつた訴外玉真一孝が昭和四年五月二二日頃から占有し、昭和三〇年二月五日からは、被告久木田が同人から右土地を買い受けて右占有を承継し、現在に至つているものである。

また本件土地のうち三九一番の土地に隣接する部分は、同土地の所有者であつた訴外吉村幸吉が昭和七年八月二五日から、昭和四一年六月二九日からは、相続により右土地所有権を取得した訴外吉村常助がそれぞれ占有し、昭和四一年一〇月二六日からは、被告会社が前記売買によつて右占有を承継し、現在に至つているものである。

更に本件土地のうち九四一番七の土地に隣接する部分は、同土地の所有者であつた訴外柴田正雄が昭和六年四月三日から占有し、昭和一四年一一月二二日からは、相続により右土地の所有権を取得した訴外柴田稔之が、昭和二二年一〇月一四日からは、同じく売買により右所有権を取得した訴外田辺重雄がそれぞれ占有し、昭和三九年六月二三日からは、被告会社が前記売買により右土地の所有権を取得して右各占有を承継し、現在に至つているものである。

(二)  しかして本件土地は隣接土地と全く同様に耕作地の状態をなしていたものであるから、右各占有者が、それぞれ占有を始めるについてはいずれも善意かつ無過失であつたので、本件土地のうち三九〇番二、三九一番及び九四一番七の各土地に隣接する部分について、右各占有が開始された時から一〇年、仮に右各占有が善意、無過失でなかつたとしても二〇年の経過をもつて、それぞれ当該時点における占有者のために取得時効が完成したのでこれを採用する。

よつて、原告は本件土地についての所有権を失つたものである。

四  抗弁に対する認否

三九〇番二ほか二筆の土地の所有者である被告ら及び被告らの前所有者が、それぞれ右各土地に隣接する本件土地部分を占有していた点は否認する。

五  再抗弁

1  仮りに三九〇番二ほか二筆の土地の所有者である被告ら及びその前所有者が、それぞれ前記本件土地部分を占有していたとしても、本件土地は右各占有の以前から力合村村道、熊本市市道又は里道として一般の通行の用に供せられてきた道路であつたのであるから、右各占有はいずれも他主占有である。

2  本件土地は、右のとおり力合村、熊本市によつて一般の通行の用に供されてきた道路であり、しかも原告又は熊本市が道路としての用途廃止をした事実もないから公共用物といえる。従つて被告らが公共用物である本件土地を時効取得することはできない。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実はいずれも否認する。

第三証拠 <略>

理由

一  本件土地と被告久木田所有の三九〇番二の土地及び被告会社所有の三九一番及び九四一番七の各土地の位置関係が別紙図面記載のとおりであること、被告らは既に右三筆の土地を一体的に利用するようになつていたところ、昭和四〇年三月頃本件土地にコンクリート舗装を行い、別紙図面表示A、B各点を結ぶ線上にブロツク塀を構築したこと、その後、右ブロツク塀を撤去したもののコンクリート舗装を存置させたまま、昭和四六年一〇月頃、今度は同図面表示I、J各点を結ぶ線上に木柵を設置し、その後木柵を撤去したが、更に同線上に鉄柵を設置し、現在に至つていることはいずれも当事者間に争いがなく、被告らが本件土地を占有していることは弁論の全趣旨により認め得るところである。

二  そこで、まず本件土地が、原告の主張するように国有地なのか、それとも被告らの主張するように三九〇番二、三九一番及び九四一番七の各土地の一部に属するのかにつき検討する。

1  <証拠略>によれば、明治政府はいわゆる地租改正事業を遂行するため、明治六年七月二八日太政官布告第二七二号をもつて地租改正条例を布達し、全国の土地について、その所有権の範囲と帰属とを明確にするため一定の規則に基づく地図を作成させたが、この時右規則に基づき作成された地図が野取絵図(明治一七年大蔵省達第八九号「地租改正に関する帳簿の達」)と総称されるもので、一筆限字全図も右野取絵図の一つであること、しかしながらその正確度は、測量の粗雑さから、特に面積については必ずしも保証されるものではないが、旧土地台帳法所定の土地台帳附属図である公図の基礎となつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  <証拠略>の地図は、<証拠略>によれば熊本県飽託郡力合村大字八幡惟田の農区長によつて代々受け継がれてきたことが認められ、右事実にその形状及び記載内容を勘案すれば、右地図が前記野取絵図の一種である一筆限字全図を明治四四年に謄写したものであることが認められるところ、右地図及び<証拠略>、並びに前記争いのない三九〇番二ほか二筆の土地の位置関係を総合すれば、本件土地は幅員一間あるいは一間二尺、長さ一八〇間の無番地の道路敷の一部に該当していることが認められ、右認定に反する証拠はない。

3  ところで前記太政官布告第二七二号地租改正条例、同年三月二六日太政官布告一一四号地所名称区別、同七年一一月七日太政官布告一二〇号改正地所名称区別によれば、明治維新政府は、国の財政的基礎を確立せんがため、従来必ずしも截然と区別されていなかつた官民有地から民有地を確定し、その所有者には地券を交付するとともに右民有地にはすべて地番を付し、そうでないものを国有地に編入したこと、かくして民有地が確定するとともにその反射的効果として国有地もまた確定するに至つた。しかして昭和二二年法律第三〇号土地台帳法によれば、原則として民有地にはすべて番地が付されることになつている(同法四条、四四条)ので、特段の事情のない限り、無番の土地は国の所有であると推認することができる。

4  <証拠略>を総合すると、本件土地に該当する部分は、大正時代から昭和初期の頃には、馬が二、三頭並んで走れるくらいの幅員があり、附近の農民が耕作地等に行くためにリヤカーや馬などを引いて通行していた道路であつたこと、右道路はその後漸次狭くなり昭和一六年頃にはその幅員は五尺位となつたこと、当時右道路は五尺道と呼ばれ、現在の県道神水川尻線から本件の土地部分を通り、その南東の方向へ約五〇〇メートル位伸びていたこと、その後更に道路の幅員は狭くなり、終戦後には幅員が約三尺、高さ一尺位の畦道状となつていたこと、被告久木田が本件土地の東側(三九〇番二の土地)に家を建てた昭和二九年一一月頃も右状況にさしたる変化はなかつたこと、そして被告らが本件土地部分をコンクリート舗装した昭和四〇年三月頃には幅員が一尺位の畦畔状のものとなつてき、その利用回数も減少してきていたが、やはり附近住民によつて農耕用等のため通行の用に供されていたこと、更に、被告会社が昭和三九年六月に九四一番七の土地を買い受けた際、被告久木田は、売主田辺重雄と地元の農区長である田辺質の立会のもとに、右農区長が持参した前記一筆限字全図によつて本件土地部分に南北に通じる幅一間の道が明記されていることを確認したこと、そこで幅員一・八メートル(一間)の道路として本件土地部分を確保したうえで九四一番七の土地を測量し、その実測面積によつて同土地を買い受けたこと、その後、昭和四一年八月被告会社が三九一番の土地を買い受けたが、右土地が農地であつたため、同年六月頃農地法五条の許可申請をしたところ、熊本県から三九〇番二、三九一番及び九四一番七の各土地の中間に道路(本件土地)が介在することを指摘されたこと、そこで被告らは、右道路を被告らの所有する三九〇番二及び三九一番の土地の東端に付け替えることを企図し、昭和四一年六月頃、熊本市建設局土木部課担当官の指導により同年九月六日付けをもつて被告会社名で熊本市長に宛て「道路境界立会願」と題する書面を提出したこと、熊本市は、右願出に基づき翌七日、市土木課瀬河技師をして、被告久木田及び前記農区長田辺質立会のもとに、本件土地を幅員を一・八メートル、その位置を別紙図面表示A、B、C、D、E、F、G、H、I、J、K、L、M、N、O、P、Aの各点を順次直線で結んだ線で囲まれた範囲であることを確認し、前記被告ら所有地三筆と道路敷地としての本件土地との境界を決定し、次いで被告らは前記東側土地内に付替え道路の造成に着手したうえ、右代替道路部分の実測図面を作成し、右図面に本件土地を道路として通行していた附近住民の同意書を添付して、昭和四一年一一月二九日、被告会社名で熊本市長に宛て「道路付替、変更及び敷地の交換申請書」と題する書面を提出し、右付替えを申請したが、附近住民の一部に反対者があつたため、右申請は同年一二月二〇日にやむなく却下されたこと、がそれぞれ認められ、右認定に反する<証拠略>は前掲各証拠に照らすとにわかに措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

5  ところで、<証拠略>により旧道路法の規定に基づき飽託郡力合村が作成した道路台帳であると認められる<証拠略>によれば、路線名「藪下道」、起点「三八一ヨリ」、終点「四〇七ニ至ル」、経過地「北村脇ノ西界ヲ通ズ」なる力合村々道が存在していたことが認められるところ、前掲<証拠略>(一字全図一筆限区界)によれば、本件土地が右村道の一部に該当することが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そして、右<証拠略>によれば、右力合村々道は、昭和一五年一二月一日市町村合併に伴い熊本市の市道に編入されたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

6  昭和三七年三月熊本市は右市道を含め市内に存在する道路につき、路線の再確認と道路台帳の整備を図るため、一括して新たに路線の認定、区域の決定及び供用開始の手続をしたことは当事者間に争いがないところ、<証拠略>によれば、昭和三七年三月五日熊本市議会の承認に基づき、当時の熊本市長坂口主税は、本件土地を含む前記市道につき、新たに路線名を「北村脇壱町畑線」、起点を「八幡町北村脇三九〇―二」、終点を「同町壱町畑四三七―一」、重要な経過地「同町北村脇四〇七―一、同町壱町畑四二四―二」なる市道として路線の認定をし、同月三〇日、新法一八条一項の規定に基づき、告示第一〇号をもつて「巾員一・八メートル、延長三九二・五メートル」と区域の決定をなし、同日、同法一八条二項の規定に基づき、告示第一一号をもつて供用を開始する旨の公示をしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上認定の各事実に弁論の全趣旨を勘案すれば、本件土地は、古くは幅員が少なくとも一間を擁する里道であつたところ、地租改正のための一手段としての地券発行の要否を決定するため制定された明治六年三月二六日太政官布告第一一四号(同七年一一月七日太政官布告第一二〇号改正)「地所名称区別」に基づく官民有区分により、その頃国有地とされたものであり、その後大正年間に旧道路法(大正八年法律第五八号)の規定により熊本県飽託郡力合村の名称「藪下道」なる村道の一部となり、昭和一五年一二月一日同村が熊本市と合併したのに伴い、右村道がそのまま熊本市の市道として編入され、昭和二七年新法が施行され、同法施行法三条の規定により新法施行の際に右市道は新法における市道とみなされ、同施行法五条の規定により、熊本市が国から右市道の一部である本件土地を無償で貸与されることとなつたこと、そして昭和三七年三月熊本市が右市道につき、新たに路線名「北村脇壱町畑線」等として路線の認定、地域の決定及び供用開始の手続きをとり、これを熊本市の市道として再確認し、現在に至つていることが認められる。

したがつて、本件土地は原告国の所有というべきである。

三  そこで次に被告らの抗弁につき検討することとする。

1  なるほど公共用財産が長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、その物のうえに他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されるようなこともなく、もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなつた場合には、右公共用財産については、黙示的に公用が廃止されたものとして、これについて取得時効の成立を妨げないものと解するのが相当であるところ(最高裁判所昭和五一年一二月二四日第二小法廷判決、民集三〇巻一一号一一〇四頁参照)、本件土地は、前記認定のとおり古くは里道として、大正八年頃から昭和一五年頃までは力合村の村道として、それ以降は熊本市の市道として、一般公衆の通行の用に供されてきたものであり、その間原告または熊本市において右公用を廃止したこともなく、また黙示的に公用が廃止されたものと認めるべき事情も存しない以上、被告らが本件土地の所有権を時効取得することはあり得ないといわざるをえない。

なお、この点に関し被告らは、熊本市は、本件土地を道路として供用開始するに必要な権限を有せず、又その供用開始公示の際には、本件土地は田畑の境界として溝状をなしていて道路の形体を備えず、かかる供用開始公示には、重大かつ明白な瑕疵があり、無効であつて本件土地は熊本市道ということはできないと主張する。なるほど道路法における供用開始公示は、道路を一般の通行の用に供する旨の行政主体の意思表示であり、道路を最終的に成立させるものであるから、供用開始公示の時には、道路管理者において当該土地につき所有権その他の権限を取得し、かつ当該土地が道路としての形体を具備していることが必要であり、右のいずれかを欠いたままなされた供用開始公示は無効であると解すべきであるところ、本件土地は、前記二の4で認定したとおり力合村当時はもとより、昭和三七年三月熊本市が道路供用開始の公示をした当時においても、幅員こそ従来の広さを有しなかつたが、なお道路としての形状をとどめ、一般の通行の用に供されていたのであり、右事実に前記二の5で認定したとおり本件土地を含む道路が力合村の村道として道路台帳に登載されている事実を併せ考えると、力合村は本件土地につき使用借権を取得し、これを村道の一部として供用を開始する旨公示したと推認するのが相当である。

もつとも、<証拠略>によれば、昭和三七年三月熊本市が本件土地を市道の一部として道路供用開始の公示をした際、その前提となる道路の区域の決定にあたり本件土地を実測せず、公図上の幅員によつたために、当時における実際の有効幅員よりかなり広い一・八メートルという幅員によつて右区域の決定がなされたことが認められるが、前述のとおり本件土地はその当時なお一般公衆の通行の用に供すべき道としての実態を具備していたうえ、右区域の決定が一応信用のおける公図によつてなされたこと、更に右公示の後ではあるが、前記二の4で認定したとおり、被告久木田は、道路付替えが前提となつていたとはいえ、本件土地につき、これを幅員一・八メートルの市道の一部であることを熊本市に対して確認しているのであり、これらの事情を考慮すると、熊本市の右供用開始の公示が、これを無効ならしめるほど重大かつ明白な瑕疵があるとは到底解せられない。

2  のみならず、前記二の4で認定したところによれば、被告会社は、三九一番、九四一番七の各土地を取得するにあたり右各土地に隣接する本件土地部分は除外してこれを買い受けたものと認められるから、本件土地部分に関しては何らの権利をも取得しておらず、したがつて、本件土地部分につきその前主において完成した時効を援用することはできないというべきであるし、更に、前示のとおり、被告らは、本件土地が道路敷地であることを認めたうえで道路境界の確認や道路付替、敷地交換の申請などをしているのであるから、かかる事情に照らすときは、被告らにおいて本件土地につき時効取得を主張することは信義則に反し許されないというべきである。

3  したがつて、その余の点について判断するまでもなく、被告らの時効取得の主張は採用することができない。

四  以上述べてきたところによれば、本件土地は原告の所有であり、現に熊本市の市道として公共の用に供すべきものであるから、被告がこれを、自己所有土地の一部であるとして、自己のためにのみ占有し使用することは許されない。

よつて、原告の請求はいずれも理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柴田和夫 最上侃二 山内功)

別紙図面〈省略〉

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